道行く人が思わず振り返る171センチの美女。
その美ぼうを活かし生まれ故郷の台湾でモデル業をこなしている。
日本語、中国語、英語を操る才女の素顔は、宝塚歌劇団が大好きな33歳。人懐っこい笑顔が印象的だが、慶應義塾大学総合政策学部総合政策学科卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で学ぶなど、国際政治にも精通する。
異色な経歴を持つが、現在は3歳と1歳の双子を育てるお母さんとしての顔も持つ。母として、妻として、女性として。「夢を追いかけ続けていきたい」と語る大湾さんに聞く。
――台湾ではモデルとして活躍をされていますね。日本ではこれからどんな活動を展開していきたいですか。
《大湾》
物を書くことが好きなので、女性誌でコラムを持つのが夢です。
女性として欠かせない美容や食。毎日奮闘している子育て。
あとは日本、アメリカに留学していた経験や、あちこちを旅行することが好きでしたので、得意分野を活かした本を出版したいなと思っています。
――中学3年生までは台北市の日本人学校に通われていたそうですが、日本への高校進学のためお母さまの出身地である沖縄を訪問。2週間後には転校をし、高校2年生のときにはアメリカ留学を決行。日本での大学生活など、“なでしこ”風の見た目からは想像ができない、アグレッシブなプロフィール驚かされました。
《大湾》
人生は1度きり。
パッとキレイな花火を咲かせたいじゃないですか。
だから、思ったことは即実行です。そしてそれを貫くことを信条としています。
学生時代は学業優先。モデルのときはモデルが第一。
結婚をしてからは家庭を優先させ、それぞれに真摯に取り組んできました。
でも家庭生活にも慣れてきた2013年に、台湾であった宝塚歌劇団の公演を見て、「夢を達成していないかも。このままでいいのかしら」って思ってしまったんです。
――「夢を達成していない?」
《大湾》
ええ。
文章を書くこともそうですが、発信し、伝えることで自分が生きてきた証を残したいんです。
子どもがいるから、家庭があるからということを理由に、諦めたくないなぁと。
できるかできないか、やり遂げるのは自分じゃないですか。
――そうですね。実現するのは自分です。発信したいと思うようになったきっかけは?
《大湾》
沖縄に住んでいた小学時代にミュージカル「ピーターパン」を観たことがきっかけで、女優に憧れていました。
台湾にいた13歳のとき、文化祭で「ゴースト」のオダ・メイ・ブラウンを演じて、「これだ」と思ったんです。
沖縄にいたときは、沖縄の言葉が話せないからとイジメにあったりして、引っ込み思案なときもあったのですが、舞台で、自分ではない者を演じたことで「舞台に立ったら何者にでもなれるんだ!」と自信がついて。
そこから、外の世界にどんどん目を向けられるようになっていったんです。元々負けず嫌いでもありましたし。
自分をイジメた人を、自分が活躍することで驚かせたいなと思って。“倍返し”してやるって思ってきました。
――小さなお子さんを抱えてのお仕事は大変だと思います。
《大湾》
大変だーって抱え込んでしまうと、どんどん自分を追い込んでしまうので、いい意味でアバウトにいることが大切だと思っています。
毎日のスケジュールは分刻みです。
まず、6時に起きて双子の世話から始めて、長女の食事、夫の食事を作ります。長女と夫を送り出したら、一度眠った双子が目覚めるので、あやしながら軽い朝食をとって。
お昼からは掃除や洗濯など家事をこなして、再び双子が起きたら今度はお散歩。
帰宅したらお風呂に入れて、午後5時ごろに子どもたちの夕食を作り始めて。
食べさせた後に夫が帰宅するので、そこで夫の食事を作って。双子と長女を寝かした午後8時から寝るまでの時間が、ホッと一休みできる自分の時間です。
――うかがっているだけで、目まぐるしいです。
《大湾》
ふふ。お話ししてみると、確かに目まぐるしいですね。
でもこのサイクルに慣れてしまうと、その中で見つけた自分の時間がすごく大切だって気付くことができたんです。
自分の時間は「やらなくちゃ」じゃなくて、「やったら気持ちいい」って思えることを優先しています。
朝起きて着替えてメークをすることも、「やらなくちゃ」だと滅入ってしまうけれど、「夫にキレイと思って欲しいから」と切り替えれば、気持ちいいことに変わりますよね。
うれしいな、楽しいなと気持ちを転換すると心も落ち着きます。
ささやかなご褒美は、子供が寝た後、ワインやビールをゆっくり飲みながら夫と話す時間です。
自分が日々を思いっきり楽しむことができれば、周りも幸せになってくれると信じています。
取材・文/西村綾乃