Aさんは連日の缶詰作業の為、3日程帰宅ができない週なんてザラというプログラマー。
作業が終わって帰宅するのも終バスがほとんど。
もちろん飲みに行く時間などない。
気の毒なくらいに忙しいAさんだが、終バスでの密かな楽しみがあるという。
「自分以外に乗っていないんですね。
だからコッソリ買ったビールをプシュっと開けて一気に飲むんです。これがサイコーなんですよ」
だが、そんなささやかな楽しみを奪うある出来事が。
「その日もいつものように飲んでたんですけど、途中のバス停から女性が乗ってきたんですね」
年は40代半ばで白髪交じりのくたびれた主婦さんに見えたという。
「不思議な感じの人でしたね。この世のものとは思えない雰囲気でした。
それに、私以外に誰も乗っていないのに通路を挟んだ隣に座ったんですよ。そして
すごい目で私を睨みつけているんです。誰もいないし、車内でビールぐらいいいじゃないかと思ったのですが」
Aさんがかすかに震えているのが分った。その先を続けてもらうために筆者は黙った。
するとAさんは怒りに満ちた目でこちらを見た。
「何かむかついたんですよね、人のささやかな楽しみを邪魔するんじゃないと思ったんです。そんで缶を握りつぶし、文句を言おうと隣をみたら……いないんですよ、隣に」
連日の缶詰作業や疲れと酔いで幻覚を見たのではないかとAさんは思った。
いい気分が台無しとAさんは握りつぶした缶を車内に捨てた。
そして自宅近辺のバス停で降りた。
すると背後から低い嫌な声が聞こえた。
「忘れ物だよ!」
Aさんは振り返った。先ほどの女が!
だが女の顔は先ほどの顔とは違って、ガラスの破片が顔中にささっていたのだった。
そして血だらけの形相で潰れたビール缶をAさんに突き出し、もう一方の手には女の子の生首をブラブラさせていた。
一目散で家に飛び込んだAさん。すると奥さんは慌ててAさんのもとにやってきた。
冷静さを取り戻してから奥さんに話した。
すると奥さんは近所で事故があったと話した。
酔っ払った運転手が反対車線の車に激突し、運転していた母子は即死。
子供はフレームの圧力により首が切断されていた。
そして、酔っ払った運転手の車から大量のビール缶が出てきたという話だったという。
その話を聞いて筆者はちょっと気の毒になった。もちろん事故にあった母子もそうだが、
仕事詰めのAさんの密かな楽しみはなくなってしまったのではないかと。
だが、その心配はなさそうだった。
「あれ以来、バスではビールをやめて焼酎にしてますよ。ガハッハハ……」